日本の武士となった三浦按針ゆかりの按針通り
- 公開日:1000/01/01
- 監修者:増岡尚哉
- 更新日:2020/03/11
東京日本橋エムアンドアソシエイツ矯正歯科は、日本橋三越から按針通りを東へ3分ほどの所にあります。
按針通りは江戸時代初期に活躍したイギリス人航海士ウィリアム・アダムス(日本名:三浦按針)に由来しています。
ウィリアム・アダムスはオランダ船リーフデ号で東洋を目指しましたが、航海は惨憺たるありさまで、1600年、関ヶ原の戦いが終わって約半年後の豊後国(いまの大分県)に漂着しました。
徳川家康に造船、航海術などの知識を提供したり、外国使節との対面や外交交渉に際して通訳をまかせられたりと、江戸幕府に大いに貢献しました。この功績を賞した家康は、旗本に取り立て、帯刀を許したのみならず領地も与えました。姓の”三浦”は領地のある三浦半島にちなんでいます。また、”按針”の名は彼の職業である水先案内人のことです。
江戸に与えられた屋敷地は現在の日本橋三越の近くで、昭和初期まで「按針町」と呼ばれました。いまでも現住所とともに「按針通り」が残り、「史蹟三浦按針屋敷跡」の碑があります。

監修者:増岡尚哉
歯科医師・歯学博士(D.D.S. , Ph.D.)|マウスピース型カスタムメイド矯正歯科装置(製品名インビザライン 完成物薬機法対象外)の講師として歯科医師向けに講義・講演活動をしています。